このリレ哲を何度か書かせていただく機会を経験して、最近はすっかり何かのテーマについて考えるとき [子供のころの私] と [思春期の頃の私] と [青年/壮年期の私] と [今の私] というように、自分の年代ごとにこうだったなあと考えるようになってきました。これにたまに [老年期の私はどうだろう] と思いを馳せたりもします。
ということで親とは。。というテーマに向き合い、まずは子供のころの私は [好意を持ちつつ、依存しないと生きていけないことがもどかしい大人] と捉えていたように思います (もちろんそんな言語化を子供の私はできないので今振り返ってみれば、というやつです)。やっぱり衣食住と教育機会を与えてくれる人はありがたいし、世界と社会を広げていくときのベースと思える場所があるのは感謝です。
ただ、交換条件ということではないでしょうけど、善悪二元ではない [価値観/好みの問題] 的な課題が生じた際 "なぜダメかを説明できないがとにかくダメだ" というストロング スタイルで叱られたり止められたりすることがあり、その時感じた苦しさがその後のいろんな考え方/感じ方の種になっているような気がします。この種を元に思春期を通じて [他人] とか [法を犯す以外の価値観問題の話] とか、モヤモヤを何とか言語化できないものかとバタバタしていたのかなと。
このモヤモヤを持ったまま青年/壮年期に子供が生まれ今度は自分が親の立ち位置についたのですが、最初の [嗚呼、わが子よ] 的な感動時期がひとしきり落ち着いた後、特に会話ができるようになってからの日々を経て、自分がどんな親でありたいかと考えると [親近感と好感度のデフォルト値がやたら高い他人] かな、というところに今は落ち着いています。
自走しだすまでの衣食住の責任さえ果たしていれば、価値観問題みたいなエリアに対して、自分の感想を言うことはあっても "あなたよこうあれ" とはとても言えん、おこがましい話だ、と思っています。子供から頼まれて生まれてきてもらった訳ではなく、完全にこっちの都合で生まれてきてもらった訳だしなあと思うとありがたく、衣食住の生存責任は果たしたいものだ、と自分に対して思います。ただ、他人なので価値観問題の選択肢で何を選ぶかと、そこで生じる結果の責任は私の課題ではない、という線引きもしているなあと思います。
[自分が嫌なことは他人にもしない] 的な倫理ぽいところは伝えようとは試みるものの、まあそれはその人の世界と社会が広がっていけばおのずとその人用のモノサシが育つでしょうし、と思うと、伝えられることって [する/しないの話さておき、まずは "聞く耳" はあった方が良いと思う] とか [やらないから失敗しない、というのって割とその選択が長い目で見たら生きづらくなると思う] というような、ふわっとしたことを自分ならば、という表現で言うことくらいだなあと今は考えています。
とは言え、親近感のデフォルト値は高いので、(自分が思う) 最低限の生存条件だけではなく、美味しいと思ったものや楽しいと思ったことを分け合いたいという欲求もあったりするので、なかなか他にはない距離間の人たちだなと思いつつ、これからも生暖かいくらいの存在の親でありたいものだ、と思う次第です。
まずは自分が楽しそうな人生を暮らして、[大人もそこそこ楽しそうじゃないか] と思ってもらえたら十分かなあ。ということで今は [楽しそうに生きてる親になりたい] ということで。
(ゆうじさん)
◆ステータス:プラクティショナー
「スナックなファシリテーター」
◆プロフィール:
ぼんやりとした生きづらさを地味にしつこく流さないよう生きてたらここまで来ました。お酒と音楽と落語と猫、三叉路が好きです。
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【ピョエ坊(ソジテツ広報)より】
ある問いに対する自分のことばをリレー形式で書いてもらうリレ哲。次回のバトン走者は、まりさん。どんな「自分自身のことば」を紡いでくださるか、楽しみです。
ソジテツは、ふつう・当たり前や、一般論、世間的な正しさではなく、ひとりひとりの中にある様々な「自分の考え・体験・価値観」を表現することを、大事にしています。こたえはきっと百人百様だと思いますが、それが素敵なことなんです。
これをご覧のみなさんも、良ければ「自分の考え・体験・価値観」で考えてみてくださいね。
【月別テーマ予定】
5月:家族、家庭
6月:恋愛、結婚、パートナーシップ
7月:人間関係、コミュニティ、地域
8月:幸せ、お金
9月:教育・学校
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