こりゃまた広く深い問いがきた。今回のお題の第一印象であった。
なぜなら、「相手」と自分の関係性や背景・状況によって、言葉の持つ意味合いやストーリーが変わると私は思うからだ。
なので今回は、仕事や役割などに絞って、複数の角度からこのテーマを考えてみようと思う。
まずはじめに、「相手にとって理想の自分を演じるべき?」と考える状態とは、どのような時か?を考えた。
例えば、役者さん。役のオーディションを受ける際、制作側の求める理想に近い人物を演じられることは、合格の可能性が高いのではないだろうか。
これは、入学や入社試験(転職含む)とも通じるかもしれない。
次に、逆も真なりか?という疑問から、このお題の主語をひっくり返して「自分にとっての理想の相手を、相手に演じてもらうべき?」を考えてみることにした。
と、ここまで書いたところで偶然こんな出来事に遭遇したのであった。
私は、移動時間に記事を書くことが多い。この記事も路線バスの中で書いていた。始発から二つ目のバス停で、運転手さんがサッと下車してバスの出入り口に回ってきたのである。
年齢は20歳代後半から30歳代前半くらいの運転手さんだろうか。
周囲の乗客に声をかけながら、車椅子で乗車する方を手際よくサポートした上で、足早に運転席に戻り、
「皆さまありがとうございました、発車しま〜す」と、明るい声でアナウンスをして運行に戻ったのである。
私にとって理想的な運転手さん対応だ!と思った。
ご本人にとっては何ら普段と変わらない日常的なことだったかもしれない。ましてや運転手さんが演じていたと言うつもりは全くない。ただ少なくとも、あの時の運転手さんの手際の良さとホスピタリティ溢れる対応に私は感心したのだ。
あゝ運転手さん、いつもありがとう… そんな気持ちになった。
そんな風にほっこりとさせてもらって、またこの手元の文字に戻り、今回のお題に関して以下のようにまとめてみた。
*もしも相手の理想を演じ、相手に応えることで自分の目的や希望が叶うなら、その行動は一つの選択だろう。
*業務としての役割を遂行することが「周囲の理想」に応えることにも繋がることもある。それはそれで尊いことだと思う。
*しかし同時に危惧することもある。常に演じ続けたり役割を全うしようとし過ぎたりすることの弊害には注意が必要だと思う。
長きに渡って相手が望む自分を演じ続けたり、常に責任感を持ち続け働き続けたりすることで、時に窮屈になったり、体調を崩したり、最終的にドロップアウトをするきっかけにもなりかねないと思うからだ(実際そのような経験をされた方々に私は沢山お会いしてきた)。
なので、塩梅よく、仕事や役割のオンとオフを意識してもらいたいと思う。
そして何よりも、期待に応えようと演じたり、周囲が気を遣って演じたりして頂くことなく「また一緒に働きたいな」と思ってもらえる、そんな人になりたいなと思った。
(まりさん)
◆ステータス:プラクティショナー
「止まり木ファシリテーター」
◆プロフィール:
「働く」をキーワードに、産業・医療・福祉・教育の分野でカウンセラー(臨床心理士/公認心理師)として働いてきました。「働くことは生きることに繋がる」をモットーに、個人、集団、組織を支援させて頂いています。「半径2メートルの安心」をいかに提供できるか。これからも自分の在り方を模索してきたいと思っています。
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【ピョエ坊(ソジテツ広報)より】
ある問いに対する自分のことばをリレー形式で書いてもらうリレ哲。次回のバトン走者は、募集中。どんな「自分自身のことば」を紡いでくださるか、楽しみです。
ソジテツは、ふつう・当たり前や、一般論、世間的な正しさではなく、ひとりひとりの中にある様々な「自分の考え・体験・価値観」を表現することを、大事にしています。こたえはきっと百人百様だと思いますが、それが素敵なことなんです。
これをご覧のみなさんも、良ければ「自分の考え・体験・価値観」で考えてみてくださいね。
【月別テーマ予定】
11月:〇〇らしさ
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#相手にとって理想の自分を演じるべき?
#まりさんのこたえ:相手にとって理想の自分を演じるべき?(リレ哲)byソジテツ
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